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History

株式会社ミヤナガ創業より50年。
その軌跡を振り返りました。

創業者 宮永恒良 岐阜の機械部品加工会社へ就職
1957 昭和35年4月

創業者 宮永恒良 岐阜の機械部品加工会社へ就職

生まれ育った宮崎県国富町より工場で働く事を夢見て、職業安定所を頼りに岐阜へ。
その後、愛知県のいくつかの部品加工会社での勤務を経験する間に技術を磨き、自分の工場を持つことを考え始める。

1968 昭和43年9月

岐阜市の知人の作業場を間借りし独立

身に付けた技術を生かして開業。
機械を購入する資金もない中、商社と交渉し手形を切ってもらう。当時の価格で97万円。
この一台の旋盤から、ミヤナガの歴史は始まる。

当初はミシンの修理を請け負い、のちにミシンの部品の生産に移行。しかし、1本500円ほどの刃物を何本も買うことができないため、1つの製品の加工をするのに、1本の刃物で粗削りをし、その刃物を加工して二次加工、三次加工をし、そこで出た削り屑を鉄クズ屋へ売り新しい刃物を購入するなど、常に創意工夫をし、コツコツと借入を返済し続ける。

1年経たずに各務原の貸工場に移転。
機械2台が入るほどがやっとの土間に、夫婦でセメントを打って設備を入れた。

岐阜市の知人の作業場を間借りし独立
工場移転 資本金300万円で会社組織を有限会社宮永鉄工に改める
1974 昭和49年6月

工場移転
資本金300万円で会社組織を有限会社宮永鉄工に改める

高度経済成長期と共に順調に業績を伸ばす。
各務原市那加住吉町の工場に移転。
機械設備を10台ほどに増やした。当時の主要業務はミシンの大型部品生産だった。

1985 昭和60年6月

現工場に移転

各務原市金属団地の現在の工場に移転。
高い技術力が評価され、大手機械メーカー、繊維機械メーカーなど多くの顧客を抱え、更に業績を伸ばす。

1988 昭和63年11月

会社組織を有限会社から株式会社に変更

岐阜市の知人の作業場を間借りし独立
岐阜市の知人の作業場を間借りし独立
1995 平成7年8月

資本金を1000万に増資

1つの分野に製品を絞らず、多岐な分野の業務を請け負っていたためバブル崩壊の影響にも耐え、堅実な経営を続け、資本金の増資に至る。

1996 平成8年11月

11月1日 社名を株式会社ミヤナガに変更

2008 平成20年3月

第二工場が操業を開始

本社工場近くに第二工場を操業。大量生産のものづくりが海外に流出する中、付加価値の高いものづくりを目指し、顧客の多様化する要望に応えるべく、多機能な新設備の導入を進める。

2016 平成28年

宮永恒良 取締役会長に就任
宮永恒治 代表取締役社長に就任

2018 平成30年

創業50周年を迎える

岐阜市の知人の作業場を間借りし独立

私たちを今まで支えて下さった皆様に心より感謝し、
これからもより良い製品づくりに取り組みます。

創業者 代表取締役会長 宮永 恒良

創業者 代表取締役会長 宮永 恒良

創業から、ただがむしゃらに毎日を積み重ねて、
50周年の日を迎えることができました。

目の前の状況を変えるために、一つ一つの仕事を納品するのに、必死だった創業期ですが、私は努力をしたとは思っていません。旋盤の仕事が面白くてたまりませんでした。
今でも誰よりも早く出社して機械に向かう日も多いです。

創業当時とは、人も、機械も、時代も変わりましたが、人の大切さは変わりません。機械が発達しても使うのは人間だからです。これから先も、当社が人を育てることと、時代に合ったものづくり、お客様が求めるものづくりをご提供し、信頼にお応えし続けることを心から願います。